平安時代の鬼殺隊!源頼光の愛刀、伝説に迫る

平安時代の鬼退治伝説で必ず出てくるのが源頼光です。鬼や妖怪を討ち取った言い伝えで有名ですが、藤原家に仕える守護的武人としても有名なのです。そんな彼の武勇伝や愛刀などを解説していきます。

源頼光とは

源 頼光(みなもと の よりみつ)は、平安時代中期の武将です。父は鎮守府将軍の源満仲、母は嵯峨源氏の近江守、源俊の娘。異母弟に大和源氏の源頼親、後に武家源氏の主流となる河内源氏の源頼信がおり、頼光は満仲の長男であり清和源氏の3代目となります。

若年の経歴は不明ですが、同時代の中級貴族がそうだったように、20歳前後で出仕して藤原氏に臣従し官職を得たのだと考えられています。藤原道長に長く仕え、絶大な信用を得ていた頼光は、『今昔物語集』や『御伽草子』などで大江山での酒呑童子討伐や土蜘蛛退治の話でよく知られていますね。

歌を詠むのが上手かったりして、歴史的には、藤原摂関家の家司「朝家の守護」や貴族武人としての面が評されていますが、現在では妖怪退治の武将としての面の方がフューチャーされています。

ちなみに、頼光は「らいこう」とも読まれますよ。

中世の鬼殺隊「柱」4名

中世の伝説的武人4人組として、蝦夷討伐の坂上田村麻呂、群盗鎮圧の藤原利仁、笛吹きの藤原保昌、そして源頼光が挙げられています。

彼らは中世文学の中において、妖怪や悪者退治に長けた武人としていくつもの伝説を残しています。今で言うところの「鬼殺の柱」的な人たちだったのでしょうね。

また頼光には、母の一族である嵯峨源氏の渡辺綱を筆頭とした頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)などの強者の家臣がいたと言われ、配下にも4人のツワモノを持っていたことがわかります。

源頼光の愛刀

頼光の愛刀、「童子切」は、日本の国宝に指定されています。

平安時代の伯耆国大原の刀工、安綱が作成した日本刀で、童子切安綱(どうじぎりやすつな)とも呼ばれます。これは天下五剣の一つで、大包平と共に「日本刀の東西の両横綱」と称される最も優れた名刀とされています。

源頼光が大江山に住んでいた鬼、酒呑童子の首をこの太刀で切り落としたという言い伝えから「童子切」の名がつきました。のちに、第8代将軍徳川吉宗が本阿弥光忠に命じて作成させた『享保名物帳』には「名物 童子切」として由来と共に記載されています。

現在も、国宝として国立博物館に所蔵されているそうですよ。

源頼光が討伐した妖怪たち

源頼光が討伐したと伝えられている妖怪は四天王の事例も含めると数多くいます。

代表的なものとしては、酒呑童子討伐や京の土蜘蛛退治、浅草寺の牛鬼退治などが挙げられますが、これらのエピソードはのちに能や謡曲などの題材として使われ、今に至るまで親しまれています。

特に、大江山に居を構え、大勢の鬼を従えて京の都を荒らし回っていた酒呑童子を討伐した話は有名ですね。

まとめ

現在では、ゲームのキャラクターとしても登場している源頼光。あるゲームでは女性化されているようですよ。最強の妖怪倒しキャラとして人気が高いのもうなずけますね!

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