妖怪「片輪車」を見たら祟られる?文様にもなっている「片輪車」の意味

 

一つの車輪がゴロゴロ転がってきて、よく見たらすごい形相をした男の顔が付いている・・・それが妖怪「片輪車」です。これを見てしまったら恐ろしいことが起こってしまうそうですよ。

妖怪「片輪車」とは

妖怪「片輪車」は、京都や滋賀で伝承されている、炎に包まれた片輪だけの牛車に乗った妖怪のことです。女または男を乗せて走り、その姿を見たものを祟るとされています。

『諸国百物語』に基づいた、炎に包まれた車輪に男の顔がついた姿が江戸の「妖怪かるた」に描かれていますが、鳥山石燕の画集『今昔画図続百鬼』では『諸国里人談』の記述に基いて女性の姿であり、解説文でも『諸国里人談』が引用されています。

男性の顔がついた車輪の姿は妖怪「輪入道」と同様なので、もともとは同一だったのではないかという説もあるようですよ。

各地の妖怪「片輪車」の伝承

片輪車の伝説は、主に京都と滋賀に残されています。

京都の「片輪車」の伝承として、延宝年間の怪談集『諸国百物語』に記述があります。

京都の東洞院通で毎晩のように片輪車が現れるので、人々は外に出るのを控えていました。ところが、ある女が正体を見たくなって家の扉の隙間から外をのぞいたところ、恐ろしい形相の男の顔が付いた牛車の車輪が転がって来ました。その男は小さな人間の足をくわえており「我を見るより我が子を見ろ」と叫んだので、女があわてて子供のもとへ行くと、その子供は足を裂かれて血まみれになっていたそうです。

そして、滋賀県(近江)の「片輪車」の伝承として、寛保年間の雑書『諸国里人談』に記述があります。

寛文時代の滋賀県甲賀郡のある村では、毎晩、片輪車がうろついていました。それを見た人には祟りがあり、片輪車の話をしただけでも祟られるとされていたので、夜にはみんな家の戸を固く閉ざしていました。しかしある女が興味本位で、家の戸の隙間から外を覗き見ると、片輪の車に女が乗っており「我見るより我が子を見よ」と言いました。女が慌てて家の中を見ると、子供がいなくなっていました。嘆き悲しんだ女が「罪科は我にこそあれ小車のやるかたわかぬ子をばかくしそ」と一首詠んで戸口に貼りつけると次の晩に再び片輪車が現れ、その歌を声高らかに詠み上げて「やさしの者かな、さらば子を返すなり。我、人に見えては所にありがたし」と言って子供を返してくれたそうです。そして片輪車はそのまま姿を消し、その村に姿を現すことは二度とありませんでした。

また、近江ではなく信州のある村での話として、津村淙庵による随筆『譚海』にこれとまったく同じ言い伝えがあるとされています。

片輪車文様って?

ちなみに、着物の文様の一つで、水につかった片車輪の柄があります。これを「片輪車文様(流れ源氏車文様)」と言います。

具体的には、流水に車輪を半分浸して水や波と組み合わせた文様で、木でできている牛車の車輪が乾燥して割れないように取り外して、定期的に水につけていた当時の様子であると言われます。

片輪車文様は、車の回転と水の流れを重ね合わせることで無情感や様々な感情を追想させますし、世の流れに翻弄される人生そのものも意味していたのかもしれませんね。

まとめ

興味本位で覗き見てしまうと恐ろしい目に遭わされる妖怪「片輪車」ですが、伝承を読んでみると「他に気をとられず自分の子供をちゃんと見ていないといけないぞ」という母親に対する警告もあるような気がします。そして、着物の文様としては深い意味もあってとても美しいことがわかりますね。「片輪車」という言葉の二つの対比が意外でした。

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